ライフコーチきりん@お酒をやめて人生変わった元呑兵衛の日進月歩

ライフコーチとして生き方、あり方を問い続けて進化し続けるための日々の気付きや歩みを綴る場所

母の人生を振り返る②

前回の母の人生を振り返る① - きりん@コーチングプレイス認定コーチの日進月歩から気づいたら1ヶ月経過してた…早過ぎ😨

 

母は途中、容態が悪化した時もあったけどまだ持ち堪えています。60代なので、後期高齢者の方と比べるとまだ体力があるからなのかな、と父と話しています。

 

50代前半でアルツハイマー認知症と診断された母

もう絶対そうだよね、くらいの確信はすでにあったので、診断が降りてもショックはなかった。

まだ私が大学生で実家に住んでいた頃、冷蔵庫からやたら傷んだ食材が出てきたり、さっきと同じ話を初めてするかのように話し出したり。絶対おかしいよ、病院で診てもらった方がいいと私は父に何度も言っていた。

母は元々片付けが苦手な方ではあったので、気付きにくかったと父は言っていたけれど。。

あと、これは私が家を出た後のことだったので最近聞いたのだけど、自転車でよろけて転んで怪我をしたこともあったそう。

 

できることが段々少なくなっていく

まず、1人で電車に乗って出かけることはできなくなった。自分がどこにいるかわからないし、待ち合わせもできない。待っていることもできないし、一緒に歩いてたはずが気づいたら別の人についていこうとしてしまっていたり。。

足元が段々とおぼつかなくなってきて、エスカレーターにも乗れなくなった。

自宅がどこかもわからず1人で帰ってこれなくなった。

 

買い物もできなくなっていった。お金の計算ができないので現金支払いができなくなったり、メモ通りに買い物をすることができない。

料理もできることが限られてくる。火の消し忘れ、食材を適切な大きさに切れないなど。

 

本当に介護の難しいところだと思うけど、できないからといってやらせないとさらに能力が落ちてもっとできなくなっていくので、できる範囲でやらせないと悪循環になっていく。

子育ての場合は、うまくできなくてもこれから上手くなっていくためのステップだと思えばモチベーションになるけど、認知症介護の場合多くはできなくなっていくことが確定している中で、そのスピードを少しでも緩められるかどうかに賭けるようなもの。

 

父は母より10歳上で、定年後の再雇用でまだ働いていたけど、日中家を空けるのが難しくなり退職した。

 

私は家を出ていたのと、飲食業界で仕事が忙しかったこともあって実家に帰るのはたまにだったので、母に久しぶりに会う度にどんどん憔悴して行くのを見るのが辛かった。実家には兄がいるからと甘えて、向き合うのを逃げていたと思う。20代だったから、自分のことばかり優先していたなーとも反省している。

まだ生きていた晩年のおじいちゃん(母の父)に、「お母さんのこと、頼んだぞ」って言われてたのにな。。ごめん、おじいちゃん🙏

 

1番辛かったのは母本人のはず

父から聞いたのだが、自分のこともよくわからなくなっていく恐怖から精神的に参ってしまった母は『もう死んだ方がマシよ!!』と深夜に泣き叫んた日もあったという。

 

孫が産まれても、世話をするどころか抱っこをすることも、もしかしたら孫だと認識すらできていなかったかもしれない。

やっと2人の子育てからも義母の介護からも解放されて、父と2人でセカンドライフ謳歌するはずだったのに。

 

最後に母とまともに交わした会話はもう思い出せない。。

母の人生は幸せだったのかな?

もっとちゃんと話しておけばよかった。

 

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色んなエピソードが断片的に浮かんできたけど、娘のスイミングの観覧席で書いていたら涙が止まらなくなってきて危ないのでここまでにします🥺

 

母の分もたくさん生きて、悔いのない人生を送って幸せに生きるぞ!と決意しました。

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

 

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